自宅が完成

居久根(屋敷周りの林)の木を除染で伐採したのが、原発事故3年半後の平成26年秋。除染のためとは言え、先祖が「子孫のために」と夫が生まれてから植えて60数年。それが家を建てるためにではなく、除染のために切られてしまった。あとは朽ちるだけで、薪にもならならいかもしれないと思ったら悔しくて涙が出た。

 
 縁あって、伐採木の線量を測ることができた。伐採した木を建築材として使っていいのかどうか環境省にも確認に行った。その木を使って「復興のシンボルになる家を建てましょう」と言ってくれた建築会社の社長に出会った。すべて、ご縁のお陰で、使った木の殆どが飯舘村の自宅の木。角材を壁にした“縦ログ構法”で作った。

 
 確かに、使用した木の心材にはセシウムが存在するが、その量は僅かで、住んでも年間わずか0.073msv/年増えるだけ。「お孫さんが来ても大丈夫ですよ」と放射線防護の専門家が言ってくださった。部屋からは流星が見える。30年前に作りたかった家が、こんな形で実現した。

12307575_1680563415534579_3157509641230050670_o

dsc_2199

dsc_1833

ナツハゼ粉末の検査結果

年末に、ナツハゼを低温除湿乾燥して粉末にしてきました。乾燥機内では紫外線殺菌を使っています。放射性セシウム検査と念のため一般生菌検査を受けて、その結果が届きました。
 Se134:検出せず。Se137:6.9ベクレル/kg
 ティーバッグ 1袋2gだから、0.0138ベクレル/kg
 これから、私が毎日2袋を1年間飲んだ場合の内部被ばく量を 計算してみたら、0.000130962mSvだった。

27セシウム検査

飯舘の自宅再建・第1期工事が始まる

除染のために伐採された居久根のスギを使って一部改築することにした。友人たちがボランティアで樹皮剥ぎをしてくれたのに感謝(^_^)v これから伐採する樹もある。これらの中には夫が生まれた後に祖父が植林したスギがある。夫が茨城県立農業高校に就職した時に植えたスギもある。樹木の成長は家族の歴史でもあり、それを使うことを提案してくださったH製作さんに感謝です。

樹皮を剥げば大丈夫だろう…といわれているが、それでも心配な放射線量。樹皮は1000ベクレル以下だった。芯材は検査中。これから伐採する樹も測定する。さらに、これらの材木を使って建てられた室内の線量は某研究機関にシュミレーションを依頼している。

12279231_1680563345534586_2632869875986473857_n - コピー

12307575_1680563415534579_3157509641230050670_o

夫が生まれてから植林されたスギだから樹齢60年以上
12289588_1680563495534571_3160834548509461246_n

夫が農業高校の教師をスタートした時に植えたスギ。成長が早くて、H製作の社長さんもビックリ!
12314687_1680563515534569_213306439827534275_o

右の赤い部分が、スギ材を使った縦ログ工法で改築される
12309751_1680563532201234_727950083703020434_o

京都御所の紅葉

最近FBがほとんどでしたが、帰村に向けての村民の様子や村内の動きをお知らせすることにしました。

11月24日から3日間、飯舘地区京都御所奉仕団の一員に加えていただいて、京都の紅葉を楽しんできました。
初日は平安神宮、京都御所の参観。2日目は京都御苑内の仙洞御所庭園のご奉仕と清水寺。3日目は嵐山、大原三千院。初日の歩数は靴が壊れるほど歩いたのにたったの8000歩(^_^;)

11231752_1678732859050968_5429599710473198206_o

12304191_1678732935717627_7583661194249865578_o

12244447_1678732982384289_3890408125150442929_o

飯舘の自宅片付けで、歩きやすくて気に入っていた靴を見つけたので履いて行ったら、靴底が壊れてしまった(*_*) 5年も経っているんだから劣化が原因だよね。私の体重に耐えられなかったせいではないと思うのだが……
12244319_1678733012384286_5248150881339973458_o

ノルウェー報告5 ~オスロで会った起き上がり小法師(ムンク)~

9月11日~12日

  オスロに来て久しぶりに信号をみました。この4日間は車で移動していたのですが、交差点がロータリーになっていて信号はなかったのです。
  オスロに来たらムンクに会いたいとナショナルギャラリーに行きました。そこで何と西会津町で起き上がり小法師を製造している野沢民芸店さんの起き上がりムンクがありました。ノルウェ一政府からの福島支援のコラボ商品だそうです。もちろん私も買いました。ガイドしてくださったかおるさんは 、今まで東北地方で作られている民芸品と説明していたそうですが、明日からは福島県で作られていると説明してくださるでしょう。こんな形で福島県が話題になるのはうれしいですね。
  街中では電気自動車の駐車料金は無料で、充電するのも無料だそうです。政策が見える形で行われているという印象を受けました。今回の私たちの研修は、福島を出る時から帰るまですべてノルウェー政府の招待です。どういう形でお返しできるのか難しいことは考えず、事実を脚色せず、ありのまま伝えることをして、落ち着いて生活できる環境をつくっていくことかと考えました。

そして……
 福島に不安から解放して心の平和に貢献したということでノーベル平和賞をいただいた夢をみましたので、オスロ市庁舎の授賞式会場を下見してきました。勿論イメージトレーニング用にメダルも買ってきましたよ~(*^-^*)

  ご一緒した復興庁のお二人ですが、最終日は別コースでノルウェー放射線防護庁と意見交換をされております。私の意見も失礼なほど申し上げました。正直言って内閣府復興庁や環境省の職員に良い印象を持っていませんでしたが、このお二人は信頼してもいいかなと信頼の第一歩です。ノルウェーの人口で占めているのはわずかな汚染地帯の農家のために対策をとり続けている政府と、政府を信頼している農家の方々。貴重な経験の連続でした。(終)

 

 

 

 

 

 

 

 

ノルウェー報告4 ~トナカイ牧場~


 


9月10~11日

  ノルウェーの最終日です。
  オスロまで数時間かけて行きますが、途中でもう一度トナカイ牧場に寄りました。標高1000m以上の所で、石がゴロゴロしていてワタスゲのような花(正確な名前はわかりません)などの高山植物が少しとトナカイの餌になる苔が少し生えているだけです。すぐ目の前の山には残雪がありました。
  9月10日、放牧されていたトナカイがヘリコプターに追われ、馬に守られて戻ってくるところです。100農家が待っています。3000頭のトナカイが2日にわけて戻ってくるのだそうです。
天候の関係でヘリコプターが飛ぶのが遅れて19時をすぎております。柵の中に追われて戻ってきた1700頭の中からサンプリングで40頭の体重測定と生体(ベクレル)検査をして、3000ベクレル/kg以上なら全頭検査になります。
  ここ数年3000ベクレル以上の数は少なかったのですが、今年はきのこの当たり年ですから覚悟している様子でしたが、果たして結果は?
  牛や山羊や羊のようにプルシアンブルー入り岩塩や丸薬はトナカイには使えず、全くの自然任せ。時計は21時近くなっていますが、結果がわかるまで帰る訳にはいきません。そして、サンブル検査で3000ベクレル以上のトナカイが次々といて翌日全頭検査と決まりましたので、翌朝にその様子を見学させていただきました。
  幸運にも食欲旺盛だったトナカイは3000ベクレルを超えてまた山に放されます。不幸にも3000ベクレルを超えなかったトナカイは1頭ずつ箱の中に入れられ、移動式屠殺車に導びかれて、気絶させられてから、2分後には皮がはがされているとか…
  チェリノブイリ事故から28年経っても自然をコントロールできていない現実。それでも自然と共生しながら、トナカイ文化を守リ、健康不安もなく楽しい…と出会った農家の方達は話していました。一方、年間1ミリシーベルトの呪縛から解放されていない福島の人達というよりは多くの日本人を考えると、大きな宿題をもらったような複殺な気持ちを抱きながら最終地オスロに何かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ノルウェー報告3 ~乳牛牧場と山羊牧場~

    9月10日

  ノルウェー3日目になります。今日は、イェンデスハイム・マウンテンの山小屋からレイラにある食品監督庁地方事務所まで行きます。その途中に、乳牛の放牧地と山羊の牧場を視察します。

 標高600m前後のスレッテ・フィエル・ヴェーゲンの乳牛の放牧地の農場主は31歳の女性です。4歳の時にチェリノブイリ事故があったが、まだ小さかったので何が起こったのかは全く分からなかった。学校では放射線の勉強はしたが、他の教科と同じで特別なことはなかった。数年前に父親から250万クローネ(日本円で約4250万円)で農場を購入したとか。春から秋にかけては、訪問した放牧地で生活し、冬期間は17km離れた自宅のある牧場に牛たちと歩いて戻るのだそうです。数年前まではセシウムの吸収をおさえるプルシアンブルー添加の特別飼料や岩塩を使っていたが、ここ数年は線量がさがってきているため、特別試料は使っていないとのことであった。彼女が牧場を始める時は、まだまだ影響が残っていて特別飼料を使っていたので、酪農をやるのに不安はなかったかと質問したら、対策はとられているし、この自然の中で仕事をしたかったので何の不安もなかった。もちろん風評はなかった…と。結婚や妊娠することへの不安はなかったのかとも質問したが、学校で勉強しているからその心配もないし、現在同棲している彼氏がいるとまで話してくれました。

  ヴェフレンの牧場は標高1000m。目の前に見える山の窪地には雪があります。山羊を飼っている夫婦を訪問しました。ここでは、プルシンブルー添加の飼料を見せていただきました。この10年間の月ごとの線量データも見せていただきました。そこにはプルシアンブルー飼料の使用したものと使用しないもののデータもありました。データは農家にフィードバックされていました。

 なお、山羊の乳はほとんどがチーズなど乳製品の原料になります。

 ノルウェーでは1986年の冬から1987年にかけて、家畜の生体測定方法が確立しました。1988年からプルシアンブルーの使用実験が始まり、政府が供給したそうです。30年近く経ってようやく、プルシアンブルー添加の飼料や岩塩が使われることは一部を除いてなくなりました。ノルウェー政府が「農家には損をさせない」と宣言して、経済的援助を続けてきたことが、農業者が農業をあきらめないでこれた。ここには「信頼」というキーワードあります。

 参考までに、ノルウェーでは牛の生乳も山羊の生乳も基準値は370Bq/kgです(日本では50Bq/kg)。

  1411742535000

1411742556110

 1411742758452

 菅野 クニさんの写真      菅野 クニさんの写真

1411742605199

 1411742663593

 

 

ノルウェー報告2 ~羊牧場と生体検査~

9月9日

 前夜スノーサのホテルに遅く着いたのでわかりませんでしたが、ホテルは湖のそばにありました。
 2日目は、まずスタインシェールにある食品監督庁地方事務所でレクチャ一を受け、レバンゲルの羊牧場で生体検査を見学。検査前に検査器調整を行ってから臀部に測定器をあてて測ります。ノルウェーの食肉の基準値は600ベクレル/kg。サンプル検査を行って、基準値の600ベクレルをこえる羊がいれば、その線量に応じて牧場内で汚染のない餌を与えるクリーンフィードが行われます。この牧場では600ベクレルをこえる羊がいて、3か月間囲いの中で汚染していない餌を与えるクリーンフィードが行われることになりました。羊からみれば命が3か月のびたことになりますが、その時は全頭検査です。

 羊は6月から9月まで放牧され、今年はきのこの当たり年で、サンブル検査で600超えがでることは予測していたようです。
 さてこの検査には農業高枚の生徒さんが手伝いに来ていました。
 この後リルハンメルに近いイェンデスハイム マウンテンの山小屋まで移動時間5~6時間。途中、放牧地から戻る牛の集団にあって通りすぎるのを待つこと10分以上。山小屋に着いたのは21:30を過ぎていました。空にはスーバームーンが出ていました。

 

 菅野 クニさんの写真

菅野 クニさんの写真

  DSC01778

 

 

ノルウェー報告1 ~トナカイ農家とチーズ工場見学~

 9月8日、1時間のレクチヤーの後にトロンハイムの北部にある山岳地帯のトナカイ農家とチーズ工場を見学しました。途中フィヨルドの自然美景観をみながら、レストランでトナカイ肉のハンバーグを食べました。トナカイ肉の味はどんなかって? 歯ごたえのある臭みのない肉で残した人はひとリもいませんでした。トナカイ農家のヨーマさんからはおみやげにトナカイの角をいただきました。続いてチーズ農家のハピネスさんを訪ね、彼のレストランで夕食を食べてから工場見学です( -.-)

 お二人とも超前向思考。30年経ったら笑えるよーって語っていたのが印象でした。5月に南相馬市で行なわれたICRPのダイアログセミナーにいらした時に食べたブラウンチーズがとてもおいしくて、今回買おうと思っていたらお土産にいただきました。ホテルに着いたのが23時をすぎており、空をみたら満月が雲から顔をのぞかせ、雲は羽根を広げた鷲のようです。

DSC01542 DSC01552 DSC01648 DSC01669 DSC01668 DSC01661前向思考。30年経ったら笑えるよーって語っていたのが印象でした。5月に南相馬市で行なわれたICRPのダイアログセミナーにいらした時に食べたブラウンチーズがとてもおいしくて、今回買おうと思っていたらお土産にいただきました。ホテルに着いたのが23時をすぎており空をみたら、満月が雲から顔をのぞかせ、雲は羽根を広げた鷲のようです。

ノルウェーへ視察・交流に行って来ました

 9月7日成田空港にいます。ノルウェー放射線防護庁の招待で、ノルウェー北部の山岳地帯に行ってきました。
 1986年チェリノブイリ原発事故によるプルームはスカンナジア半島にまで流れてホットスポットができました。このことがわかったのは事故後1か月たってからのことです。事故直後オスロでの線量の低さからノルウェー政府は懸念不要という判断だったそうです。ところが一市民の検査でトナカイの肉や山羊の乳から高い線量が検出されて、政府による対策が行なわれてきました。住民の避難・移住は行われず除染もしない。では何が行われたのか??

(報告1~4も読んでください_(._.)_)

 ノルウェー政府から東電福島第一原発事故による避難者に協力を申し出ていただいた事務局は、物や金ではなく人と人とのつながり、交流をお願いした結果、一昨年に続く今回の視察交流となりました。
参加者は事務局1名、飯舘村の蓄産農業者1名、役場職員2名、微妙な立場の私、それに復興庁のお役人2名が自費参加で総勢7名です。
 それにしても復興庁のO氏はビニール傘を持ってスーツ姿で登場。今日は目的地オスロの北部にあるトロンハイムまで乗り継ぎ2回、18時間のほとんどを機内で過ごすだけなのにスーツが一番リラックスできると言われて、我ら飯舘村民とは違うと…m(_ _)m
Oさんごめんなさい! DSC01475 DSC01480 DSC01478