飯舘村のいま

夫と義父の3人で飯舘村の我が家に宿泊に行きました。ゴールデンウィークの特例宿泊をするために、自分の家に泊まるのに事前に届けをして、線量を測りながらの生活。
義母は、飼っていたニワトリが昨秋にイタチかサルに襲われて全滅してからは、我が家に帰ることが少なくなりました。避難先のハウスの中が心配だからと言いますが草ぼうぼうの景色とカビ臭い我が家が嫌だろうなとも思ったり、1時間近く車に乗るのが疲れるのかと思ったりしています。
義父は国土緑化機構の森の名人に選ばれた人で、山野草の増殖に精魂を込めてきました。シラネアオイのうす紫色の花がきれいに咲いていました。主の住んでいない所で、誰かに見てほしいという欲も出さずに、自分の咲くべき時に精一杯、自分の一番美しい姿を表現しているように思えました。そのそばにはクマガイソウの群生があったのですが、手入れがされず、その上、猿の軍団に襲われて数本が生き残っているだけです。これも原発避難の悲劇の一つです。                                                                                                                    うす紫色のシラネアオイ

1993年ごろにヨークベニマル財団の招きでカナダ国マニトバ州の大学生が我が家にホームスティしたことがあります。英語の知らない義父が日本語で「カナダには黄色の水芭蕉があると何かで読んだのだが、本当にあるのか?」と尋ねると、日本語のわからない大学生は英語で「あります」と答えました。この会話を聞いていた私たち夫婦は、この二人どこまでわかっているのかな?と思っていましたが、彼が帰国後黄色の水芭蕉の種を航空便で送ってきました。言葉が通じたというよりは心が通じたエピソードです。      
                                                            珍しい黄色の水芭蕉

 

花が大好きで、枯れた花も咲かせるのではないかと思えるほどの森の名人の義父を、私は現代の「花咲爺」と思っています。茶目っ気があり、毎朝野山を歩き、水仙を集めては植えて、こんないたずらをしたと語った時があります。それが下の写真です。近所に来るディサービスの送迎バスがわざわざ我が家のじょうぐちに入ってきて、バス内の利用者と花見をしていきました。そんな時がまた訪れますように、早く手入れができるように我が家に帰りたいです。避難して2年になるのに、いつになったら除染が始まるのでしょうか?                                                             
2万本のスイセンでかいた「水仙の里」の文字が雑草に隠れています

山菜に含まれるセシウム量を測定するために山菜を採ってきました。ある機関が協力してくださることになり、我が家の山菜をすべて検査してみようと思います。昨年は、ウルイ、行者ニンニク、シドキ、フキ、コゴミ、ヨブシマソウなどを調べて、セシウムを検出しなかったものもあります。今年はどんな結果がでるか楽しみです。種類も可能な限り、すべての山菜を測ってみようと思います。原発事故により避難させられ、春の楽しみだった山菜も採るな!食べるな!と言われても、納得できるものではなく、○○ベクレル/kgだから食べてはいけないよと言われれば納得できます。それは自分で確認するしかありませんが、今役場で検査ができるのは1回2点までで、結果が手元に来るまでに1か月近くかかりますので、旬は過ぎてしまっています。それでも検査をしておけば、昨年から今年の変化がわかりますし、来年か再来年帰村できるときの希望につながるように思います。