イータテベイク

イータテベイクは飯舘村で育種・品種登録された新品種のジャガイモです。 花はうす紫色で6月から収穫する9月まで咲いています。イモはデンプン質が多く、ほっこり甘昧があるジャガイモです。生食用は1kg、種イモは2Kgから販売します。

※2Kgの種イモで初秋には20Kg以上のジャガイモが採れます。


イータテベイク誕生物語

イータテベイクの育種者菅野元一は、1950年福島県飯舘村の農家に生まれた。 15歳の時に高校進学で原町市(現:南相馬市)の親戚に下宿をするために飯舘村を離れた。農業高校教師になった元一は、30歳のとき飯舘村唯一の高校に赴任、帰郷した。 自分を育んでくれた飯舘村は、たびたび冷害に泣かされている。元一は、定年までに品種改良して冷害に強い農産物をつくり、飯舘村を世界に発信できるようにしたいという夢を描いた。

1981年に、阿武隈高地で栽培されているジャガイモ在来種の変異株から育成して「イータテワールド」として種苗登録。村の名前を冠したのは、やがて飯舘村から世界に発信したいという元一と妻クニふたりの想いからであった。1985年に北海道の農家から一つの品種が送られてきた。アンデス地方を原産として北海道で育種された「インカの星」である。栽培してみると収穫は少なかった。その上に野生のイノシシの食害にあった。しかし、イノシシが食べるほどおいしいジャガイモだと教えられた。実生を蒔き、畑に移して収量調査、交配を繰り返すこと20年。こうして2005年に「イータテベイク」が種苗登録された。

いよいよ栽培普及を目指そうとしたところに法律の壁が立ちはだかった。種馬鈴しょは「植物防疫法」により植物検疫を受けて合格した馬鈴しょしか栽培できないというのだ。植物検疫を受けるためには、県から委託された農家の圃場で栽培することが条件で、育成者であっても勝手に栽培できないのであった。元一は、農業高校の管理職・単身赴任の身になっており、県の担当者とのやり取りもできない状況の中、2006年に彼の趣旨を理解した村民の有志が「イータテベイクじゃがいも研究会」を設立し、福島県の指導のもとにやっと栽培できるようになった。 独立行政法人種苗管理センター北海道中央農場で無毒化して圃場栽培されたものが原種となり、2010年から飯舘村の圃場で念願の原種栽培ができるようになった。

2011年から採種栽培もできると準備の整っていた3月11日、東日本大震災と続いて起こった東電福島第一原発事故による飯舘村の土壌汚染。農学部出身の息子から「飯舘村での研究と栽培はあきらめるように」という辛くて悔しい助言があった。頭が真っ白くなった元一にクニは言った。「それなら栽培できるところに圃場を移したらいいよね」と。知人の紹介で福島市に20aの土地を確保して原種と採種の栽培をする。「イータテベイクじゃがいも研究会」防疫補助員の努力で3回の植物検疫も通過し、全量合格だったが種芋販売には自信がなかった。

2012年栽培の採種イモは2013年の春に北海道に渡り、一般栽培が始まった。イータテベイクは、9月になっても生育が良く、ラベンダー色の花が咲いている。小粒ながらもデンプ ン質が多くホクホクして甘味とコクがある。イータテベイクは花も実も多くの人に愛されるようになると信じている。2017年3月31日、飯舘村は一部地域を除いて避難解除になりました。人もイータテベイクも他の野菜たちも帰ってきました。畑周囲にイノシシとサル対策に電気牧柵を設置し、原種と生食用に植え付けをしました。肥料のいらないイータテベイクは生まれ育った畑で育ってくれました。