飯舘村成人式がありました

飯舘村の成人式は、全村避難中のために村内でできないため、福島県文化センター小ホールをお借りして行われました。
記念式典は、型通りに30分ほどで終了。誓いのことばをした都内の大学に通う女性は、福島市内の高校に進学のために15歳で飯舘村を出て、親元を離れて毎日が楽しく寂しいと思ったことはなかったが、あの大震災で一人になることがこわくなった。東電福島原発事故による全村避難で自宅に戻れなくなって、ふるさとはいつでも帰れる所にあったから(村)外に出ることができると気づいた…と話され、これに涙が流れる。そういえば、わが二人の息子たちも仙台市内の高校に進学するために15歳で飯舘村を離れたが、あの子たちが戻ってこれる場所を作っておくことが今の私の仕事かなと、今朝はそんな会話を夫としてみました。そして、
式典後は実行委員会企画による「20歳になった皆に会いたい~沢田知可子ミニコンサート」です。

実行委員のメンバーは5人
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成人式の前に母校の飯舘中学校に有志で行き、教室に入って、今の飯舘中学校生へのメッセージを書いてボードに貼ってきたそうです。
中学校に行かなかった仲間たちへ、ミニコンサートの前に書いてねとアナウンスしておりました。
このメッセージボードは、仮設中学校に置き、飯舘村の中学校に戻る時は一緒に行くことになっているそうです。
ちなみに同行した村長は「べっぴんさん」と書いたとか。

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和装文化研究家の園山明生子様も成人者にメッセージをくださいました。
ご自身の両親からの言葉として、「自分の傘を持つように」「チャンスの神様は前髪しかない」とご自身の経験から「一回一回の経験を大事にする」と大変重みのあるお言葉でした。

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そして、中学校3年生の時に、村から予算をいただいて中学生が企画実行する「やったね事業」で沢田知可子さんのいのちの授業とコンサートを行ったご縁から、避難後に来村して激励してくださり、「成人式には来るからね!」という約束をしていたそうです。知可子さんは「約束を果たしに来ました!」といよいよミニコンサートです。今日の成人者のために作ってきたという新曲「あなたと出会えた街だから」も披露してくださいました。最後には、参加者も一緒になって「花は咲く」と「ふるさと」を歌いました。この時に、言葉は言霊で人を励まし力をくれるので意味を考えて言葉を大事にして歌いましょうと。この2曲は、あれ以来涙流さずには歌えなくなってしまいましたが、久しぶりにいい時間を過ごせました。
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実行委員をした皆さんはいい経験をしましたね。園山さんの言葉にもあったように、いい経験を意識していくことが自分を育てる。皆さんの未来は決して悪いものばかりではないはずですね。そのためにも、自分の口から出る言葉には注意したいものです。

2014年の始まり

2014年明けましておめでとうございますえ。
87歳と85歳の夫の両親に飯舘村で一番高い山「花塚山(918.5m)」と初日の出を見せたくて、年末年始を岳温泉の高台にある「光雲閣」で過ごしました。
午後の3時には宿に着き、早速温泉につかりました。夕食には、自家製ゆず酒の食前酒を飲み、どの料理も美味しくいただきました。久しぶりのお酒とおいしい食事でお腹いっぱいになった両親は恒例の紅白歌合戦を見ることなく布団に入ってしまいました。
明けて新年の朝、6時40分ころから空がピンク色からだんだんに橙色に変わり6時55分過ぎに、日山(天王山1057.1m)から太陽が顔を出してきました。両親は「こういうご来光は、はじめて見る」と喜んでくれました。

日山から顔を出した初日の出

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部屋の大きな窓からは、阿武隈山系がくっきり見えます。右手には大滝根山(1192.5m)、真正面には五十人山、富士山が見える北限と言われている日山(天王山)、羽山と続き、口太山、そして飯舘村で一番高い花塚山が左手に見えます。左端の向こうには飯舘村の高原が広がっているかと思うと、その村に来年は帰れるのだろうか、再来年になるのかな…と思い巡らしました。

向こうに見えるなだらかな山が、飯舘村で一番高い「花塚山(918.5m)」
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郡山市にある実家に新年の挨拶をして、帰路東北自動車道を走っていると虹が見えてきました。何かいいことが起こる前兆のような予感がして安達太良SAに寄って車を停車させ、虹が消えてしまわないうちにと急いでシャッターをきりました。

安達太良SAから見た虹
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大自然が味方してくれた「いい年明け」です。
生かされていることに感謝し、良かったさがしをしながら、今年もいただいた人生ゲームを楽しんでいこうと思います。
2月に満1歳になる「ニコニコ菅野農園」を、今年もよろしくお願いします。

ナツハゼの山採りをしました

2013年もあと2日となりました。 今年も振り返ってみるとたくさんの出来事がありました。何よりも内閣府の支援を受けて実施した「新たな一歩プロジェクト」の目標であった「合同会社ニコニコ菅野農園」の設立でした。次は福島県のホームページのハンサムウーマンに登場させていただいたこと。これは福島県のホームページにアクセスすると今でも動画を見ることができます。 そして、ナツハゼがたくさん採れたことです。昨年の3倍の量です。友人から冷凍庫を1台いただき、何とか全量保存できました。 昨年は、福島第一原発事故の影響で、園主さんが除染と称してすべての樹皮を剥ぎ取ったため収量が例年以下だったとか…、それでも私は管理された畑で見事に実らせた枝々に感激していたのですが、今年はそれ以上でした。 人間の作った巨大な異物から発生した放射性物質にも負けずに豊かに実り、放射性物質検査でも検出限界値以下でした。 園主さんは20年前から山採りをして栽培してきた圃場ですが、その努力を見習って、私と夫は園主さんの所有する山に入ってナツハゼを採らせていただきました。それを借り上げしている家の近くに確保した畑に移植しました。 トラック2台もありました。

軽トラに積まれたナツハゼ

軽トラに積まれたナツハゼ

 

 

植えているところです。さすが、夫は農業高校の教師です。200本のナツハゼを植えました。 DSC_0488 すでに芽がふくらみはじめています。来年から花が咲くのが期待できそうです。 本格的な実りは4年後かな? DSC_0498 低温乾燥でナツハゼの色と香りを損なわない技術にであいました。ナツハゼ茶用に粉末にしてみました。飲んでみたらとても美味しいです。近いうちにニコニコ菅野農園のお勧め商品になると準備中です。ものは試し!ナツハゼおこわを作ってみました。

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子どもは未来である

11月に入ったら北からの使者が2羽飛んできました。今日水原川の白鳥の河原に行ったら、こんなに増えていました。

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安達太良連峰の雪化粧をみたら、急いでタイヤ交換をしなければ…と販売店に予約して冬道対策も済ませました。

 

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保健師の現役時代にバイブルのように読んだ本があります。

著者は東大医学部の小林登先生の「子どもは未来である」という本です。

赤ちゃんを抱くことやあやすこと、授乳を通して子どもの心が育ち母性が育つこと、母子相互作用について書かれた本です。

赤ちゃん健診で、「今、お母さんに抱かれているこの赤ちゃんが大人になった時の社会が、私の保健師としての仕事の答え」と自分に言い聞かせ、育児は理屈ではなく、子育てを楽しめるようにお母さんたちに語ってきたつもりでしたが…。

今、悲しい話題が多くなったように思えて…。

平成元年に飯舘村の「若妻の翼」で海外に飛んだ仲間も孫がいる方がほとんどで、例外なく「孫はかわいい」と言って、孫のいない私を気の毒がっています。そんな私も、幼稚園から中学校まで時々お邪魔することがあり、すべての子どもが私の孫だなと勝手に思っています。

2学期は幼稚園の運動会、小学校の学習発表会、中学校の文化祭、そして昨日(11月16日)は幼稚園のお遊戯会で、すべて仮設の学校や園舎で行われました。

しかし、仮設の園舎で思いっきり遊んでいる子供たち、仮設の校舎でしっかり学んで、将来の夢を描いている子供たちの姿は、決して仮の姿ではなくホンモノです。

子供たちはふるさとの学校で学べなくても、先生方はふるさと学習をしっかりしてくださっていて、その発表に涙が止まりませんでした。

幼稚園では3歳児のもも組さん、4歳児のちゅうりっぷ組さん、5歳児のすみれ組さんの発表では入園式から大きく成長した子供たちをみて、震災~原発事故~避難の中で成長停滞してしまった大人に前進するパワーをいただきました。

幼稚園のお遊戯室には離れ離れになってしまった祖父母もたくさん見えていて立ち見の状態です。子供たちの元気に頑張る姿から、人間力を回復した大人もたくさんいたのではと思った一日でした。

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 3歳児もも組の音楽劇「てぶくろ」…ウクライナの民話です。

 

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 4歳児ちゅうりっぷ組の音楽劇「さるかに合戦」

 

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 5歳児の劇「ももたろう」

飯舘村のいま

夫と義父の3人で飯舘村の我が家に宿泊に行きました。ゴールデンウィークの特例宿泊をするために、自分の家に泊まるのに事前に届けをして、線量を測りながらの生活。
義母は、飼っていたニワトリが昨秋にイタチかサルに襲われて全滅してからは、我が家に帰ることが少なくなりました。避難先のハウスの中が心配だからと言いますが草ぼうぼうの景色とカビ臭い我が家が嫌だろうなとも思ったり、1時間近く車に乗るのが疲れるのかと思ったりしています。
義父は国土緑化機構の森の名人に選ばれた人で、山野草の増殖に精魂を込めてきました。シラネアオイのうす紫色の花がきれいに咲いていました。主の住んでいない所で、誰かに見てほしいという欲も出さずに、自分の咲くべき時に精一杯、自分の一番美しい姿を表現しているように思えました。そのそばにはクマガイソウの群生があったのですが、手入れがされず、その上、猿の軍団に襲われて数本が生き残っているだけです。これも原発避難の悲劇の一つです。                                                                                                                    うす紫色のシラネアオイ

1993年ごろにヨークベニマル財団の招きでカナダ国マニトバ州の大学生が我が家にホームスティしたことがあります。英語の知らない義父が日本語で「カナダには黄色の水芭蕉があると何かで読んだのだが、本当にあるのか?」と尋ねると、日本語のわからない大学生は英語で「あります」と答えました。この会話を聞いていた私たち夫婦は、この二人どこまでわかっているのかな?と思っていましたが、彼が帰国後黄色の水芭蕉の種を航空便で送ってきました。言葉が通じたというよりは心が通じたエピソードです。      
                                                            珍しい黄色の水芭蕉

 

花が大好きで、枯れた花も咲かせるのではないかと思えるほどの森の名人の義父を、私は現代の「花咲爺」と思っています。茶目っ気があり、毎朝野山を歩き、水仙を集めては植えて、こんないたずらをしたと語った時があります。それが下の写真です。近所に来るディサービスの送迎バスがわざわざ我が家のじょうぐちに入ってきて、バス内の利用者と花見をしていきました。そんな時がまた訪れますように、早く手入れができるように我が家に帰りたいです。避難して2年になるのに、いつになったら除染が始まるのでしょうか?                                                             
2万本のスイセンでかいた「水仙の里」の文字が雑草に隠れています

山菜に含まれるセシウム量を測定するために山菜を採ってきました。ある機関が協力してくださることになり、我が家の山菜をすべて検査してみようと思います。昨年は、ウルイ、行者ニンニク、シドキ、フキ、コゴミ、ヨブシマソウなどを調べて、セシウムを検出しなかったものもあります。今年はどんな結果がでるか楽しみです。種類も可能な限り、すべての山菜を測ってみようと思います。原発事故により避難させられ、春の楽しみだった山菜も採るな!食べるな!と言われても、納得できるものではなく、○○ベクレル/kgだから食べてはいけないよと言われれば納得できます。それは自分で確認するしかありませんが、今役場で検査ができるのは1回2点までで、結果が手元に来るまでに1か月近くかかりますので、旬は過ぎてしまっています。それでも検査をしておけば、昨年から今年の変化がわかりますし、来年か再来年帰村できるときの希望につながるように思います。

奥州街道八丁目宿

2013年4月21日、福島市の積雪3cmで福島気象台の積雪記録で最も遅い日に記録されました。
私の避難している福島市松川町は、福島市の南端に位置していますが標高170mで積雪は5cm以上はありました。
お土産のお菓子を買おうと、お気に入りの菓子店に行き、松川町で「ぶらぶら歩き桜巡り」があることを知り申し込みました。
張り切って起きた朝、外を見ると驚き!前夜から雨だったのが雪になって4月下旬の雪。
耐水性の滑りにくい靴底のスニーカーを履き、集合場所の福島市役所松川支所に行くと、キャンセル者はほとんどいなくて、なんと真面目な市民なんだろうと感心したりしながら、まず宿場町だった松川町の歴史をお聞きしました。                                                                                                                                           
松川町の中心部は「八丁目宿」と呼ばれていたそうで、奥州街道の重要な宿場町でした。町には直角に曲がる道路が何か所もあり、当時を偲ばせる町並みです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     【説明】

【絵図】

本陣は大名家専用の宿です。記録によると、宿泊したのは北海道の松前藩、青森県の津軽藩、秋田県の佐竹藩、宮城県の仙台藩などでした。本陣に宿泊する大名は関札(せきふだ)を持参しました。正面には藩名と名前、右側には宿泊した月日が書かれており、藩の石高によって関札の長さや幅、厚さが違い貧富の差が歴然だったそうです。                                                                      
【関札】

本陣以外の旅籠には家来の武士が宿泊し、馬を泊める旅籠もあったそうです。                                                                                             
【旅籠】

松川町の歴史を感じながらの桜めぐりでした。
桜めぐりの桜の話は次回に。

花の名所巡り(松川編1)

予想もしなかった原発事故により、飯舘村からの避難生活も3年目に入りました。
暖冬と3月の温かさから桜の開花が早まって、福島市内は満開です。                                   
折角、花も実も味も見もある福島市に避難しているのですから、花の名所巡りをしてみました。

避難している松川地内の名物桜です。                                            
芳水のしだれ桜。池の水面に映った桜もきれいでした。

                                                                  

今日の締めくくりは、松川町水原にあるしだれ桜並木。まだ植樹して10数年の若枝です。やっと花がほころび始めたところで、あと数日で見事なしだれ桜のトンネルになりそうです。その時の様子をアップする予定ですので楽しみにしていてください。       

向こうに見える雪を抱いてる山並は安達太良連峰です。

千本杵つき餅はおいしかった

三春町の樹齢千年を超える滝桜が満開ということで、こんなチラシに誘われてふるさときゃらばん応援団が集まりという餅つきとけんちん汁につられて出かけました。近所の方々も交えて千本杵もありました。

結婚式で千本杵をやったことがあるという夫の声。そういえば、最近の結婚式では「千本杵がない」というので、そもそも結婚式におよばれしていないというのが本当の答えでしょうと笑ってはみましたが…。高校の教師をしていた夫は、教え子や同僚の先生の結婚式が年10回以上ということが数年ありました。最近は招待状がさっぱりきませんし、わが二人の息子はいつまで独身を続けるのか招待状を出せる予定が全くたっておりません。                                               
ついた餅は、定番の「あんこ餅」「きなこ餅」そして、三春地方?の「大根おろし餅」さらに大根おろしを進化させた「せい餅」

もっとたべたいな~、滝桜もみたいな~と思いつつ、3時からお世話になっている農家の方の山菜部会勉強会に呼ばれていたので
餅をおみやげにいただいて帰りました。夕食はいただいてきた餅で、早速「せい餅」を作って家族4人で食べました。87歳と85歳の夫の両親は初めて食べてみたと喜んでいました。                                      
三春町からの帰り道に、二本松市安達町にある円東寺の推定樹齢400年のしだれ桜に挨拶をしました。三春の滝桜には敵いませんが、樹齢400年の桜はそれだけで存在感があり、生命力が伝わってきます。

せい餅の作り方                                            
1 大根をおろす                                                        
2 おろした大根にサラダ油、しょうゆ、砂糖を適当に加えてひと煮立ちさせて火をとめる                                 
3 味付けした2の大根おろしに餅を入れる                                             
冷めた餅は、電子レンジであたためるとおいしく食べれます。

いいたて雪っ娘(こ)物語

夫は茨城県立農業高校で2年間、福島県内の農業高校で34年間教師をしてきました。

一生の仕事として農業高校で生徒に教えると決めた時に一つの夢を持ちました。

「還暦のころに、世界から愛される品種を育種する」ということです。

その理由は、コシヒカリを育種した故石墨慶一郎博士の講演に感動したからです。

幸いにも飯舘村の我が家には戦後開拓した畑がありました。育種素材は現地に足を運び採種もできました。

特に中国吉林省瓜(うり)類研究所で出会った香りのよい、夕張メロンのような肉質のカボチャとの出会いは幸運でした。

こうして、気の遠くなるような研究がスタートしたわけです。

何と多くの友人・知人に食味試験をお願いしたことでしょう。

畑に出没する猪からも美味しいカボチャを教えてもらった結果、「いいたて雪っ娘(こ)」が誕生しました。

ところが退職20日前に、あの忌まわしい311東日本大震災とそれに続く東電福島第一原発事故に遭遇し、家族も育種してきた種たちも避難を余儀なくされ、福島市内で何とか生き延びております。

特性は、
①超保存性で、翌年2月ころまで室温保存が可能です

②ホクホクしっとりで、甘く食味がよい

③肉質がきれいである

④繊維が少なく、加工しやすい

  栽培したい方のために、カボチャの種を販売しています。5ml(12~13粒)315円です。

きらりえんたび

夫が2月21日放送のNHKBS番組「きらりえん旅」に出演しました。

夫が育種開発したカボチャ「いいたて雪っ娘」の自慢をする番組でした。

 

1月26日にあった公開収録、ジュディ・オングさんからの旅のお礼コンサートに招待されて行きましたが、その時に感動して涙が止まらなかった歌がありました。

竹田の子守唄の曲に、ジュディさんのお父様が中国語で書いた歌です。

20年以上も前に書かれた歌ですが、今の福島にピッタリの曲でした。

 

福島が健康になり、世界中から福島に来るようにと語りながら、祈りをこめて歌ってくださいました

祈祷(祈り 竹田の子守唄)

希望の鐘をつこう 心をこめて祈りながら

もう失敗などない 永遠に成功をつかもう

涙も悲しみも 笑顔に変える

奇跡の鐘の音 響き渡る

透きとおる青空に 祈りをこめて

鐘は鳴り続ける 月日をとめて

この世の悲しみ 消えるまで

すべての悲しみ 消えるまで

 

元一はカメラに向かって言いました。「必ず福島を復興させる」と

 

「いいたて雪っ娘」を食べてみたい方、種をゆずります。