~あの日から~語り継ぐ ⑦

【第7回 名前にふさわしい自分に】

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あの日から⑦

 生まれは旧田村郡田村町、今は郡山市田村町です。JR水郡線が通っている町です。ここには守山城があって、小学校はお城の跡でした。

 三姉妹の三番目。女に生まれたのが嫌で嫌で
…。嫁(母)としゅうとめ(祖母)の問題をずっと見ていた。女の切なさというのか。母からはおまえが男だったら良かったのに、と何度も言われました。

 子どものころは、名前のクニがいやだった。漢字の名前でないので、親を恨んでいた。姉二人は漢字の名前で、最後に「子」が付いている。

 私が生まれたのは昭和20年代ですから、名前がカタカナで、子が付かない子は学年でもほかに一人しかいなかった気がするなあ。それくらい珍しかった。カタカナで子が付かない名前は、なんか古くさい感じ。それがいやだったんです。

 あるとき、母に聞いたら、父が勝手に付けたらしいんです。父はクニ子と付けたと言ったと言うんですけど、クニ子じゃなくて、クニだったんです。

 母は「まあ、国一番になるからいいべぇ」と言ったんだそうです。母から聞いた「国一番」が頭の中に残っていて、それにふさわしい生き方をしようかな、と。いつか、そんな自分がいましたよね。

 名前って、親が一生懸命考えて付けるじゃないですか。今は自己紹介で、クニという名前が似合う年になりました、と言うんです。

 保健師になってこだわったのが、性教育でした。子どもたちに、生きるということ、生まれるということを、どう分かってもらえるかって考えたんです。性別って、選べないじゃないですか。性教育では、私自身が女に生まれたのは損だとずっと思ってきた、ということから話を始めます。

 (東京新聞 2014年5月12日掲載)