~あの日から~語り継ぐ ⑧

【第8回 結婚】

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あの日から⑧

 郡山市の高校を卒業後、宇都宮市にある国立栃木病院(現国立病院機構栃木医療センター)付属高等看護学院に入りました。母から「手に仕事を」と言われたこともあって、保健師になろうと思っていたんですが、実習に行って「こりゃ、つまらないなあ」と。それで国立病院の看護師を4年間しました。そのとき、宇都宮大学の大学院で学んでいた夫と出会ったんです。

 夫は飯舘村出身で「一人息子だから、帰らなきゃいけない」と言うんです。そのときは、なんで帰らなきゃいけないんだろうと、不思議でした。跡を継ぐとか、帰るとか。私にはそういう感覚がないんです。

 結婚後も仕事を続けろと、夫は言うんです。調べてみたら、飯舘村の近くでは大きな病院はなく、看護師として勤めるのは難しいのかな、と。それならもう一度、保健師を目指そうと思ったんです。不純な動機ですよね。

 1978(昭和53)年、私は福島県の保健師に、彼は県立高校の農業の教師に採用されました。二人そろって新採です。

 結婚式はその年の3月18日に挙げたんですが、夫の赴任場所が決まったのは、例年より遅くて、式の当日でした。「夫の勤務先の近くにするから心配するな」と言われていたんですが、私の勤務先が決まったのは20日ごろなんです。

 赴任地は、夫が岩瀬農業高校で、私が須賀川保健所(現県中保健福祉事務所)です。岩瀬農高は、須賀川保健所の管内にある高校なので、近いんです。赴任先が決まっていなかったので、新婚旅行は行けませんでした。

 福島県では初任地は出身地でないところ、という鉄則があるんです。3年後、飯舘村にある相馬農業高校飯舘校に異動になりました。私は一年遅れで、南相馬市にある原町保健所(現相双保健福祉事務所)に転勤しました。飯舘村は原町保健所管内です。

 (東京新聞 2014年5月13日掲載)