~あの日から~語り継ぐ ⑥

【第6回 避難所で健康相談】

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あの日から⑥

3月20日に鏡石町役場に行きました。町内に避難所を2か所、設置していました。地震の被災者向けです。原発事故の避難者は(田村市)都路から一人かな。町の保健師に「ボランティアで手伝うよ」と言ったんです。押しかけ応援で、21日から避難所で健康相談をやりました。

保健所の職員はみんな、布団を持ち込んで仕事をしていると言っていました。ガソリンが足りないじゃないですか。しかも、原発の避難者が次々にやって来るんです。その人たちの放射線検査をしていました。

全国健康保険協会(協会けんぽ)から「県から応援を頼むと言ってきたので、28日から仕事として避難所に行ってください」と連絡がありました。避難所で、双葉郡から避難してきた人たちの姿を見ました。お年寄りが本当に何もすることがなくて、という状況を。

3月30日、国際原子力機関(IAEA)が飯舘村の土壌汚染は避難基準を上回っていると発表したんです。枝野官房長官は31日、避難の必要はない、と言ったんです。本当に安全なのか、安心できるのかは分からなった。

おばあちゃんからは「死んでもいいから、飯舘に帰る」と言われた。おばあちゃんはテレビも見ないで、家の中でじっとしている。おじいちゃんは校長住宅の庭を畑にして、イモや豆を作った。それから「することがねぇなぁ」と。

両親をどうするかを考えるとき、避難所の人たちのことが頭にあった。二人の様子を見ていたら、飯舘でもさすけねえな(問題はない)と思った。

4月2日、車で飯舘村に戻りました。11日になって国は、「飯舘村は1か月以内を目安に全員避難」と言いました。

どうして避難区域を拡大したのか。根拠を知りたいのですが、今もわかりません

(東京新聞 2014年5月9日掲載)