~あの日から~語り継ぐ ⑮

「第15回 私に一番、遠い仕事」

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あの日から15

 飯舘村の教育委員を頼まれたのは10月末です。

 2011年秋。土曜日の夕方でした。菅野典雄村長と奥さんがうちに来たんです。夫に「教育委員を頼みたい」と。夫は「フルタイムで(高校に)出ているからダメだ」と断りました。公務員は教育委員にはなれないんです。

 「そうか、どうすっかなぁ」と村長が言うと、奥さんが「先生がダメなら、奥さんがいるんじゃない」。

 「えーっ」て感じです。「(役所に)文句は言えるけど、教育委員というのは私に一番、遠い仕事です」と断ったんですよ。そうしたらうちの人が言ったんです。「村長が困ってるんだから、手伝ってやればいいべぇ」。そして「なあ、じいちゃん、俺たちも協力するよな」と。家族が了解したんで、断る理由がなくなったんです。

 仕事は「月に1回の定例会だけだ」と村長は言ったんです。最初の会議で「定例は月1回ですが、臨時はしょっちゅうあります」と言われました。教育委員会の定員は5人で、3人以上出ないとい流会です。ところが委員は以前から3人なんです。欠席すると、成立しないんです。協会けんぽ(全国健康保険協会)の仕事は辞めました。

 他の二人は教育長と教育委員長です。3人しかいないので、私も教育委員長の職務代理者なんです。実際には、委員長は司会進行ですし、教育長は行政側なので、何か言うのは私だけなんです。

 最初の臨時委員会は翌年春、校長・教頭の人事でした。「この校長はいや、という拒否権はあるんですか」と聞いたんです。そうしたら「それはダメです」と笑われました。「じゃ、何のための臨時委員会ですか」と言ったんですが、こういう嫌味を言う委員はいないでしょうね。

 半分、ボランティアですよ。報酬は定額で月2万円ちょっとです。半年まとめて支払われます。交通費もありません。

 (東京新聞 2014年5月27日(火)掲載)